第7回は、Bar空sido(ソラシド)でバーテンダーとしてお仕事をされている高辻様にお話をお聞きしました。

さまざまな出会いが生まれるこの空間で、これからも特別な時間を提供したい

  生の半分以上がバーテンダー

17歳のときに、母親が経営する居酒屋でアルバイトをしたことがきっかけで、接客業に楽しさとやりがいを感じるようになりました。就職先としても接客業を軸に考えていたところ、バーテンダーという職業に辿り着き、今までの23年間ずっとこの仕事一筋です。

「バーテンダーならモテそうやな〜」という気持ちも最初はありました(笑)。

  しい師匠から学んだ心構えと所作

最初は、紹介してもらった狭山市の個人経営のバーで3年半勤めました。そのお店に入った当初、もともと店長として働いていた方がとてもすばらしいバーテンダーの方で、後々、私の師匠のような存在になる人なのですが、ただ、当時は僕が入ってすぐにバーを辞めて独立してしまって、私は20歳でその店の店長になってしまったんです。それで、早く一人前にならなければならないと思い、店長として勤める傍ら、週に1回その独立された師匠のバーへ学びに行っていました。

師匠には心構えについてよく教えていただきました。「お客様が家でも飲めるお酒をわざわざバーで飲むのは、お客様が普段とは違う体験を求めているから」ということをおっしゃっていて。私たちバーテンダーはお客様が気持ちよくお酒を飲める状況を作ることが大事だ、ともよくいわれていました。特に掃除が重要だといつも教え込まれてましたね。また、カクテルを作って提供するときの綺麗な手さばきも重要なため、師匠の実際の動きを見ながら学んでいきました。

ただ、師匠はめちゃくちゃ厳しかったです(笑)。バーの営業が終わったら所作や掃除の仕方など、厳しく指摘を受けることもありました。当時は早く一人前になりたいと思う一心で、所作を学ぶために2年くらいお茶を習いに行ったり、お酒について自分で必死に勉強したりしてましたね。

今では、自分自身で学ぶだけでなく、師匠の厳しさがなければ今の自分にはつながらなかったと思っています。

  手に教えることが自分にとっても一番の勉強になる

22歳の頃に、ウイスキーの蒸留所などを見学するためにイギリスのスコットランドに1ヶ月間行きました。帰国直後に、知り合いのマスターが我孫子の方で経営されていたバーを辞めるらしいという話を聞き、その居抜き物件を買い取らせてもらい、自分のお店を開業することになりました。そして開業してから1年経った頃に、勉強熱心な子と出会い、バーテンダーとして雇ったんです。これが人生の転機でしたね。

初めてのことでしたが、結果は彼が一人前になって我孫子の店長にまでなってくれたおかげで、売上が伸びて、2店舗目を出すことができました。なのでこの帝塚山のバーは2店舗ということです。また、自分が今まで吸収したことを1から人に教えたことが、自分にとって一番勉強になるということも身を持って知りました。

  ーの魅力は、豊かで新鮮な出会いがあること

バーは、一般的なポスティングなどの営業活動を行うことはありません。ただ、お客様がバーにご来店くださる理由として「ここのお店がいいよ」「落ち着くよ」といった口コミが重要なんです。地道にお客様にとって居心地の良い居場所を提供できていたことで、口コミが広がって、私のバーも2店舗目を出すに至ったんだと思っています。

バーテンダーという世界は、働く時間帯や給料の面でなかなか人材が育ちにくいといった実態があります。そのようななか、私が23年間この仕事を続けられたのは、お客様との出会いのおかげです。お客様に自分の知らないことを教えてもらったり、地域によってお客様の層が全く異なったりするのも興味深くて魅力に感じています。

将来は若手の育成や店舗拡大といった夢もありますが、私自身は田舎でペンション付きのバーを経営して、観光地やその場所ならではの地域性やお客さんとの出会いを楽しむのが夢です(笑)。

やっぱりこの仕事の醍醐味はお客さんとの出会いが一番なんですよね。

Promotion

  ち仕事でも靴が軽く、フォーマルな仕事着にもマッチする

以前は仕事の際に、スニーカーを履いていました。ただ、水や氷を日常的に扱うため、こぼすと靴の中に染み込んでしまっていたんですよね。撥水性に優れたビズッパに出会い、水が染み込んで靴下が濡れるという悩みから解放されて非常に快適です。また、軽くて疲れにくいのも助かっています。機能性だけでなく、バーテンダーのフォーマルな恰好にもあうのも嬉しいポイントです。フォーマルな装いに合う機能的な靴を探している方にはぜひおすすめしたいですね。

高辻様、ご協力ありがとうございました!